sseze's blog

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大学の教育に行き詰まりを感じた場面

昨日のことだ。
友人が、新しいアルバイトに受かったとの知らせを耳にした。バイトにしてはなかなかの高給で、企業名を聞いてみるとそこそこ名の知れたベンチャー企業だった。

で、だ。ヤツはこう言うんだ。
「この仕事が成功したら、マジな話、休学するかもしれない」
その場ではおいおい待てや、と皆で茶化すムードではあったけど、帰りの電車でずっと考えてた。割とマジな話になっちまうんではないかと。

話を聞いてみると、そのプロジェクトはどうやら日本ではできないことで、もし2年後に就職してからだと、時代の潮流に乗り遅れるだろう、と言う。まぁワカランでもない気はした。
彼は仲間内でも頭の回転が速く、要領もよい。ヤツなら、もしかしたら、もしかするのかも?という気持ちが起こってしまうくらいに、突き抜けているところがある。


彼にとっての大学を卒業する価値というのは、凡人の僕が思っているより全然低いものなのかもしれない。
『まぁ大学で勉強することは後でもできるから、今は先端技術/チャンスに掛けたい』と思う気持ちの方が勝るようになるのは時間の問題な気がする。そのくらい、今度の仕事は彼にとって価値の高いチャンスになるかもしれない。まー少し生き急いでる気はするけど。


大学に入学して早1年半が経過した今、自分のような凡人でも、大学の現実というのが見えてきて、多少落胆する部分がある。しかし、それでも大学は卒業したいと思ってる。

教科書丸写しで、これホントに受ける意味あんのか?と疑問に思うような授業もあるけど、それでもミジンコみたいなアタマしか持ち合わせない自分のような凡人は、あと2年ちょっとは、勉強に時間を使った方がよい。

彼が社会に出る覚悟をしてるかどうかはわからんけども、でも大学での勉強に退屈している感は日に日に増してるような気がする。今度のバイトが決まる前から既に、今期はバイト(プログラマ)に精を出すぞー、的なことを口にしてたから、少なくとも大学での勉強はもう片手間でやるような感じになりつつあるんだろう。大学での勉強ってこんなもんかいな、というい気持ちが、ヘタするとそのまま彼に社会へ出る決心をさせてしまうかもしれない。


じゃあ大学ってなんだ?大学の先生はこいつに何を与えられる?


現時点で、彼ほど“デキる”学生から「大学に入って、この先生は良い先生だと思った」という話を1つも聞かないというのは少々問題なんじゃないかと思う。
たまたま彼がそういう教員に出会わなかっただけかもしれないけど、いやしかし、大学の1,2年の基礎を作るような授業で、この授業はここがダメ、教え方はこうした方が良い、仕方ねぇ、俺が解説サイト作ってやるか、って流れになることが2つも3つもあるってのは、教え方に問題がある教員がゴロゴロいるということに言い換えられるんじゃないか?


いや、まぁいい大学だとは思うんですよ。学費は安いし、それなりのキャンパスライフは味わえてる。就職状況もまぁ、それなりにいい(と聞く)。

でも、教員の質はどうか?
一流目指すんなら、せめて基礎教育を担当する教員だけでも、しっかりした指導力を持った教員で固めとくべきなんじゃないだろうか。やる気のない指導をするような教員が基礎を担当していては、その上に応用なんて積み上がらない。(まぁ学生の分際でエラそうにほざきますが)

おそらく、今のうちの就職状況を支えているのは、過去の先輩方の功績からだと思う。
まぁ今の学生は勉強量が足りないって面もあるのかもしれない。けど、やはり先輩諸氏のこれまでの功績ってのは努力(勤勉さ)と、その頃のうちの指導力によるものじゃないかと。だからこそ、その先輩方を輩出した大学=優良大学=就職に強いって図式が成り立ってるんだと思う。

こういう昔の栄光にアグラ掻いてる教員が多いと思う。特に常勤教員に目立つ。
逆に、非常勤教員の方が熱のこもった授業を展開してたりする場合もあったりして。
もちろん全員が全員、アグラ掻いてるというワケではないと思う。というか思いたい。


自分の大学が評価を得て、いい人材がどんどん入ってくるようになることは大変喜ばしいことだし、大学側にとってもいいことだと思います。ゆえに、うちの大学には名実ともに、再び(?)優良大学になってほしいと思います。

少なくとも情報系大学の看板を背負ってるんだから、プログラミング教育くらいは命かけるくらい指導に熱を入れて欲しいです。マジで。毎年のように一年生が苦しんでる姿を見ると、大学の名前と反比例してんなー、と毎回残念に思う。