深圳を見た今、アキバについて思うこと
この記事は第8回ニコ技深圳観察会参加レポート:あの1週間の深圳滞在を振り返ってのトピックその4です。(これでトピック終わり)
深圳は、なんでも実験する都市
深圳は、ここ30〜40年足らずで漁村からGDP中国第3位(北京、上海に次ぐ順位)にまでのし上がった都市だ。目まぐるしいスピードで変貌を遂げられたのには、この街が中国で最初の経済特区だったこと、そしてそれに伴って都市全体が計画されて建設されたという経緯がある。街は若者が稼ぎに来る街として計画整備されてきたこともあり、なんと老齢人口は2%!お金を稼ぎまくって年老いたら皆、自分の故郷へ帰って暮らすんだとか。合理的なことこの上ない・・・。
老齢人口が極端に少ないということは、街づくりはある種若者に最適化されたシステムとなる。すなわち、この街ではそこかしこで新しい実験がはじまりは消えてゆき、そしてその厳しい生存競争の中を生き残った優れた製品・サービスだけが残る。その代表格が「深圳すごい」の代名詞的な存在と言っても良い、WeChatPayとmobike/ofoだろう。
深圳速度でトライ・アンド・エラーを繰り返された製品・サービスは、その後中国全土の12億人の市場で試されることになる。これは日本の10倍の規模であり、つまりスピードも10倍というわけだ。それが深圳という街が他の都市と決定的に違うところである。
怪しげな情報・パーツを安い金でトライアンドエラーしていくのが楽しい感覚、なんとなく中高生の頃('01〜06頃)のアキバ・インターネットシーンに似てる気がする。深圳に妙に惹かれるのはこういう冒険心が研ぎ澄まされてくからなんだろうか?
— せーぜ (@sseze) 2018年3月18日
↑は、まだ観察会が始まってさえいない時(17日のウェルカムディナーの前)のツイートなのだが、振り返ってみると自分自身も深圳をトライ&エラーしていることが分かる。普段あまり海外に行かないため、体験するありとあらゆることが新鮮に感じられたのもあるが、深圳人たちも多かれ少なかれ同じような印象を持っているのではないだろうか。
深圳を訪れると感じる、あの冒険心を掻き立てられるような感覚は、15歳の時に初めてアキバに行った時の感覚とよく似ている(少なくとも自分の中では)。しかもその規模は日本の秋葉原の数十倍で、街中が「あきばお〜」や「上海問屋」のようであり、売られている商品は、その”メガ・アキバ”の街のどこかで設計・製造されている。
毎日の生活が新しいテクノロジーを試す社会実験であり、それがより良い豊かな社会を生み出そうとする姿を目の当たりにしながら日々生活しているのである。この街で暮らすことは、本当に羨ましい以外の何者でもない。
深圳への憧れ=日本の閉塞感の裏返し?
こう深圳のいろいろなすごさを目の当たりにしてから日本に帰国すると、多くの人は閉塞感を感じることだろう。あの深圳メトロのキラキラした若者たちに比べて、空港からの帰路で見る満員電車の悲壮感といったらない。なんというのか、ディズニーランドからの帰り道の急に夢から醒めるあの感覚と似たものを、深圳からの帰路でも感じるのである。
こういう感覚は、今のアキバを見ていても感じてしまう。深圳・華強北がお手本にしたというアキバは、今では電脳的な特色が色あせてしまった感じがしてならない。GWに久しぶりに訪れたアキバを見て、思わずこんなツイートをしてしまった↓
ちゃんとアキバの裏通り見て回るの多分大学生ぶりくらいだったんだけど、あきばお〜やドスパラ、Arkなどの一部を除いて結構な数の店が消滅していて、代わりにメイド喫茶と◯◯リフレ的な店が溢れかえっていた。自分の知っているアキバはとっくに死んだんだと思って、なんだか寂しかった。
— せーぜ (@sseze) 2018年5月4日
多分PCパーツ繁栄期の前には家電、更にその前はオーディオの時代も淘汰されてきたんだろうけど、とは言っても"電気街"としての秋葉原は残り続けていた。今のアキバは完全に色街と化していて、シフトチェンジした感じを受ける。色街としてのアキバが衰退した後には何が残るんだろう?
— せーぜ (@sseze) 2018年5月4日
今回の旅の締めくくりにスイッチサイエンスの金本さんも言っていたが、今の深圳が持っているものは、日本・秋葉原が欲しかったものそのものなんだと思う。
こう考えると、皆が口を揃えて言う「深圳すごい」というのは、この日本の閉塞感に対する裏返しなのではないか?と思えてくる。あくまで主観だが、あながち外れてもいないような気がする。