sseze's blog

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一本の映画を見るということは、映画製作のハイライトを見ているようなものだ

先日の研究室の先輩との会話がすごく印象深かったので、ログを残しておく。

その日は、丸2日程研究室に泊まり込んで中間発表の作業をした後だった。発表練習では「動機に学術的根拠もなしに研究をするなんて筋違い」みたいなことを言われて、一時、研究が白紙に戻ることなどもあって、かなり老け込んでいた。
自分も余裕がないせいか、バイトにインターンにと多忙だったことを理由に、夏休みに研究が滞ったことを話すと、ある先輩から一言。『君は努力が足りない』と。

以下、先輩との会話から抜粋。

いろいろと興味を持つのはいいけど、最後までやり抜かないのが君の悪いクセだ。
最後に人と勝負が付くのは、最後までやり抜く努力ができる人間か、どうか。

プログラムを組むこと、技術を身につけることは、時間さえかければ誰だってできるようになる。
でも、最後までやり抜けるか、どうかは、最後までやり抜く努力をしなかった者には身に付かない。

なんとなく『努力』という言葉に違和感があった。
そりゃ、出来る人はそう思うでしょう、と。

研究室の中の自分の立ち位置や、研究内容のレベルも含めて、
『自分は“出来る人”にはなれない、劣等感を感じてしまって、モチベーションが上がらない』
と返すと、

劣等感を感じることは、悪いことではない。
でもそこで立ち止まって何もしないことは悪いことだ。
大事なのは、ああなりたい、こうなりたい、と思って、少しずつ着実に実力を伸ばしていくこと。

映画を一本見て、その映画をわかった気になっちゃいけない。
観客の目には、華々しい舞台で輝いているキャストの姿しか映らないけど、その裏には、数ヶ月〜数年にも渡る、長い長い映画人たちの努力が隠されている。
凄い人に会ったときに“自分はこの人に勝てない”と思い込むのは、その人がそれまでにしてきた苦労や努力が見えていないのと一緒。

現状の自分の実力を卑下したところで、何の得にもならない。
凄い人に会ったならば、その人のようになるためには何をすれば良いのか?を考える。
目標を持って、小さなゴールを一歩一歩進んでいけば、いつかは凄い人に追いつけるかもしれない。
そうやって、頑張るしかない。

最近は目先のことに気を取られてしまっていて、凄い人を見ていると、自分には無理だとか、劣等感に苛まれることが多かった。
でも先輩と話していて、その考え方は全然間違っていたことに気付かされた。

研究が岩礁に乗り上げてるとき、先輩から「参考までに!」と、エールをもらったYouTubeの動画を貼っておく。



Honda CM「負けるもんか(プロダクト)篇」


“自分のレベル”なんていう、小さな定規でものを測っているうちはまだ青い。
“いつか同じ土俵に立ってやる”という気持ち、忘れないでいたい。


追記(2012-10-03-03:02)
実は、以前の日記に @daishi_hmr さんがほぼ同義なコメントを付けてくれてたことを思い出した。もう大学生活終わっちゃうじゃん!