sseze's blog

インターネットとガジェットが好きな人のブログです

僕が理系単科大の夜間主コースに通った4年間を書けるだけ書いてみた

年度末かと思ったら、これ書いてたら新年度になってしまいました。

卒業旅行(企画した|行った)り、社会人になるのを前にいろいろな人と(会った|飲んだ)り、一人暮らしを始めたりと、卒研終わってからもバタバタしてたのですが、

去る、2013年3月25日に、無事大学を卒業しました

工学の学士になったようです。

ということで、卒業できた喜びに任せて、ずっと書きたかった記事を書くことにします。

思えば4年前の2009年2月。当時の僕のスペックはこんな感じでした。↓

  • 1月に20歳になったばかり。
  • 大学浪人2年目。(つまり二郎…もといニ浪)
  • 高校、大学と、一度も受験が上手くいったことがない学歴コンプ。
  • そしてこの年も私立受験にすべて失敗してた。
  • ピザデブ。

絵に書いたようなゴミ人間ですね、本当にありがとうございました。

そんな中、最後に残ったのが国立大学二次試験でした。

二浪の時は私大受験に切り替えていたので、国立大の出願はホントにオマケ程度にしか考えてなくて、出願は前期のみ、しかも夜間主コースというところに出願していました。

当時うちの大学は学部改組前で、各学科とも昼間コースと夜間主コースというのが併設されてました。
夜間主コースの受験科目はセンター3科目(数・理・英)、二次試験2科目(数・理)。
つまり私大理系受験生でも受けられる訳ですね。
(一応センターは5教科7科目普通に受けてたけどね)

大受験にすべて失敗してしまった僕に残された切符は、この夜間主コースのある国立理系単科大学一択でした。
夜間って何だ?二部生になるの?そんな悠長なこと考える暇もなく、2月中頃からの記述試験対策を始めました。
毎日ガムシャラに勉強して、寝るといつも大学に落ちる夢を見てしまってハッとして、また机に向かって、勉強して…酷い精神状態でした。

そして迎えた2月25日。
忘れもしません。
時間ギリギリまで鉛筆を走らせて答案用紙を真っ黒にして帰りました。

3月初旬。
なんとか首の皮一枚で大学に合格しました。
当時は自宅浪人だったのですがあまりに嬉しすぎて、わざわざ予備校時代の恩師に報告しに行ったのを覚えています。

4月6日。
入学式は桜満開の晴天模様でした。
ようやく大学に入ることが出来た嬉しさ半分、一方でこれから夜間主コースという道をどう進んでいくのか、不安も半分な感じでした。

1年前期

この頃は「二浪で夜間主コース」ということにコンプレックスを抱えていました。そのため、必死に忙しい毎日を演出していたように思います。

夜間主コースの授業は、通常は17:45〜21:00(2コマ/1日)。
ただ、うちの大学では昼間の授業も一部取ることができたので、朝9:00の授業から受け始めて、夜間主コースの授業が終わる21:00まで大学に居るような感じでした。

それに加えて空き時間や放課後に、部活をやったり、委員会の仕事をしたり、あとは教職科目の履修したり…

でも流石にそれも限界がきて、6月頃にパンクしてしまいました。自分のキャパシティというものを知り、ひとまず弓道部を辞めました。
(時間帯的に続けるのが厳しく、また体育会系の飲みに付いていけなかった)

一方で委員会では夏合宿で幹事をやったことで同期や先輩に認知してもらい、特に先輩には、とても可愛いがってもらって、よく飲み会やカラオケに連れてって貰いました。

毎日非常に忙しくて体力的にはかなり消耗するものの、毎日大学に行くのがとても楽しくて(なんと勉強までもが楽しい!)、あまり辛いとは感じていませんでした。
特に今と違うのは、通学時間を全く苦と思っていなかった点。僕は千葉の実家から大学に往復3時間以上かけて通っていたので、特に朝・終電のラッシュが相当辛いのですが、この頃はへっちゃらなくらい、大学が楽しかったです。

1年夏休み

夏休み頃からイベント運営スタッフのアルバイトをしていました。学期中は授業や実験で忙しかったので、長期休みの間や、日曜日だけ入っていましたが、お客さんのクレームに対応したり、現場によって違うスタッフさんの顔と名前を覚えたりと、このバイトのお陰で目一杯コミュ力が鍛えられた気がします。

1年後期

前期の教訓を踏まえて、昼の授業は必要最小限にとどめました。(でも20コマ超と未だに少し多い)
1年の頃は授業受けるのが趣味みたいな感じだったのですが、僕の中では20コマあろうと30コマあろうとあまり関係なくて、様々な授業が相互に関連し合っている感じがしたので、いろいろな視点で見られることに面白みを感じてるような、そんな感じでした。(若干、まとまってない気がするけど)
この頃の講義は教職科目も含めて一般教養的なものが多かったので、そういう見方をしていたのかもしれません。

委員会は文化祭で店を出したり、'09代の委員長になったりした頃。委員長のメリットは昼間生とコネクションを多く持てることだったので、仕事は大変そうだったけどリーダー職を引き受けることにしました。

2年前期

昼間にうちの大学で授業と取るよりも、単位互換で他大学で授業を受ける方が単位的にオイシイことを知り、学芸大にも通い始めました。
相変わらず毎日講義に出まくっていたのですが、この頃から徐々に大学の講義に対して違和感を覚えるようになりました。(詳しくは、2年後期で書きます)

一方、委員会では委員長職が本格化し始めて、新入生歓迎イベントを運営したり、学友会総会(高校までの生徒総会のようなもの)を運営したりと、半ば、イベントスタッフのようなの仕事をよくしていて、アルバイト経験の恩恵を受ける場面が多々ありました。
委員会活動の中核に関わっていくことで、昼間生にも徐々に名前と顔を覚えて貰うことができ、夜間生でもシャカリキに動いていれば認めてもらえるんだ、ということを知りました。この頃から徐々にコンプレックスからの脱皮が始まりました。

2年後期

1年生から2年前期までに、必修以外の単位はほぼ取り終えていたので授業数は大幅減。ということで、夜学生らしく(?)昼間は会社で働き始めました。
普通のバイトと違って単に「お金を稼ぎたい」では雇ってもらえないので、自己PRを考えたりして、バイト就活みたいなことをやってました。10社目で代々木のWeb制作会社に雇ってもらえることに。

大学の授業を取らなかった理由

単位が十分に足りていても、取りたいだけ授業を取ることはできるし、単位なんか取らなくたって、モグリで授業を聞くことは可能です。(実際、そうやって聴講してた講義もいくつかありました)
でも、常勤の先生よりも非常勤の先生の方が熱心に授業をやってる現実を見て大学という場所に違和感を覚えた*1し、大学の講義を聞いてるより、もっとモノづくりについて勉強したい!という思いが段々高まりつつある時期だったので、会社に潜入して現場の空気を吸いたいという思いから、会社で働くことにしました。

一方で委員会では先輩たちの追いコンの(企画|運営)を終えて、委員長の任期を満了しました。追いコンでは1年の頃から撮り溜めた写真を同期みんなでアルバムにして先輩にプレゼントしたのとか好評だったなぁ。

3年

4月中盤にアルバイトを転職をし、インフラ屋さんに入社しました。
この頃はまだソフトウェアエンジニアというより、もっと低レイヤーのエンジニアになりたかったので、サーバーやネットワークに明るいインフラ屋さんを選択しました。(元々、通信工学系の学科に入ったのもそういう理由があった)

ところが、ひょんなことから社内システムを作ってくれないか?という話になり、インフラ会社に籍を起きながら、ソフトウェア開発のいろはを勉強することに。
よき上司・先輩に恵まれ、それまで知らなかったオブジェクト指向の考え方とか、バージョン管理とか、もちろんLinuxサーバーのこととか等々…本当にいろいろなことを勉強させて貰いました。

授業は専門科目に移行し、情報工学・通信工学の基礎を勉強していたのですが、実験レポートが毎回キツくて、バイトとの両立がなかなか大変でした。

3年夏休み

学部3年の夏といえば、夏の風物詩と言わんばかりに、会社にインターンに訪れる学生がしばしば見られます。僕がいた会社も例外ではありませんでした。
その年は僕の上司がインターン生の教育担当だったので、一緒にバイトしていた数名で、Webシステムの開発〜仮想化技術を使った運用までを扱う教材を作って、同じ学部3年生のR大の子たちにレクチャーする仕事をしたりしていました。インターンをする経験はよくある話ですが、インターン生を迎える経験というのは聞いたことが(ない|なかった)ので、とても貴重な経験だったように思います。
また、それまで低レイヤーに向いていた志向が、上から下まで全部出来るようになりたいと思うきっかけにもなり、後の就活では、主にWebサービスの運営会社を受けることに。

4年生になるのを目前に控えた3年の後期。
自分の進路を就職にするか、進学にするかで悩んでいたとき*2に、アルバイト先の上司(とそのまた上の上司)に相談にのっていただき*3、まずは大学院に進んだ後でも困らないように一度就活してみることにしました。
id:k_kinukawaさんに「会社見学に来ないか?」と誘われたのは、ちょうどこの時期で、見知った会社の中を見学するのは初の体験でした。
そこで、会社のサービスのイメージと、会社そのものの魅力は違うことを知り、その後の就活ではサービスのイメージに捉われず、その会社で働くメリットについて考えるようになりました。
就活ではWeb系の会社の選考を数社受けてみたのですが、結局、最初に見学したミクシィ社の内定を受けることに。ミクシィ社を選んだのは、id:k_kinukawaさんが在籍していることは基より、何より業界トップレベルのエンジニアが多数在籍している環境から刺激を受けることが、大学院に進学するよりも自分にとって価値があると思ったからでした。

4年

卒業研究では自然言語処理を専攻したのですが、これが予想をはるかに超えるクセモノで、卒研から逃げるようにアルバイトに熱中していきました。そのため、4年生の1年間の研究生活はあまり良い印象がありません。(詳しくは以前のブログに書いた通り)

卒研が終わった今、自分には研究者の素養(新規性のある着眼点・一つのことへの執着心 etc...)があまりなかったように感じます。今は進学ではなく就職を進路に選んだのは正解だったように思うし、惰性や猶予の気持ちだけで進学しなくて本当に良かったと思っています。
ただ、卒研に100%没頭できていなかったことも良い研究が出来なかった原因の一つのようにも感じているので、今後、この考えはまた変わってくるかもしれません。

この4年間を振り返ってみて

4年前、最初は夜間主コースということに引け目を感じていました。
でもこうやって4年間を振り返ると、ある意味そのコンプレックスの裏返しで、すごく密度の濃い4年間を過ごすことができたと思うし、いろいろなことにチャレンジした経験のすべてが、自分の血となり肉となっていることを実感します。

夜間主コースというのは"コース"であって、学部学科ではないので、経歴上は昼も夜もありません。そのため就活の履歴書にも「夜間部」や「二部」といった表現は入りません。
ただ、入学したて頃は「大学院に進学して学歴コンプを解消したい!」って考えがどうしても拭えませんでした。

でも今だったら、そんな理由で大学院に行くべきじゃないと思うし、夜間主コースだからといって昼間コースと違う生活を送ってたかと訊かれれば、それは否です。昼間に授業を受けたければ受けることができたし、昼間の友達を作りたいと思えばそういう環境に身を置けば良いだけの話です。

要は、自分の気の持ちよう、実現するためのモチベーションさえあれば、どうにだって物事を運ぶことは可能なんだと思います。

今は夜間生であったことにまったく引け目を感じません。
というより、前半の2年間では昼間生のような生活スタイルで過ごせたし、かつ後半の2年間も夜学生の地の利を生かして、IT企業の中にドップリと浸かって自分の好きな勉強をすることができたので、むしろ得をした方だと思います。(内定というオマケまでついてきた)

明日(というより今日)からいよいよ社会人です。
周りの同期の中ではおそらく自分が学歴でも技術力でも最弱クラスでしょう。
でもそんなことでネガティブになっていても仕方ない。
ハイレベル集団の中に入ることで、自分自身も引っ張られてレベルアップできる!
やった!ラッキーじゃん!自分最弱クラスでよかった!
そのぐらいポジティブな方がいいです。